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名古屋地方裁判所 昭和56年(ワ)742号 判決 1985年3月20日

原告

甲野太郎

甲野花子

右両名訴訟代理人

小栗孝夫

小栗厚紀

榊原章夫

石畔重次

渥美裕資

被告

乙野一郎

乙野和子

右両名訴訟代理人

高野篤信

青木重臣

主文

一  被告両名は原告甲野太郎に対し、各自金一三九三万〇五〇四円及びこれに対する昭和五六年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  被告両名は原告甲野花子に対し、各自金二五〇万円及びこれに対する昭和五六年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

三  原告甲野太郎の被告両名に対するその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告両名の負担とする。

五  この判決は原告両名の勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一事実経過

<証拠>を総合すると、「原告らの主張」1、2、3、4の(一)ないし(三)、5の(一)ないし(三)、6の(一)ないし(四)、7、8の各事実を認定することができるほか、次のような事実を認定することができる。

1  原告太郎は、昭和五四年八月五日の被告一郎の申し出について、所沢の自宅に帰つて種々考えたが、当時のサラリーマン生活に特段の不安や不満はなかつたものの、被告らの仕事は年を取つてからも続けることができ、被告らから見込まれて行くことでもあるので大いにやりがいがあると思い、東野産業を辞め、被告らの養子になり面倒を見ていこうとの考えに達した。原告花子も、既に子供に手がかからないようになつていたので、被告らの話に乗り気で、結局原告両名間で被告らの申し出を承諾しようとの結論に達した。そこで同年八月末頃、原告太郎が「原告らの主張」5の(二)記載のとおり被告一郎に原告らの意向を伝えた。

2  同年九月四日被告らが原告らを訪ねた際、被告らは、商売がおもしろいものであることや、自分達が快適に生活をしていること、あるいは、子供がなくて寂しい思いをしてきたことなどを交々語り、原告らに対し、子供になつて老後の面倒を見、墓守をしてほしいと述べた。また被告らは、まだ元気なうちに店を譲つてゆつくりしたい、金にも不自由していないので店は原告らの好きなようにやつたらいい、長年自分達が経験して身についたものはみな教えるつもりだし、なれるまでは手伝いに行くつもりだ、などと述べて原告らを誘つた。原告らは、被告らの話が都合が良過ぎると感じ、また店の将来等につき不安に思うことなどを種々質問したが、被告らは、子供になつてもらうのだから悪いようにはしない、話がうますぎると思うのだつたら家賃程度のお金は出してもらつてもよいなどと述べるので、原告らは、書面を取り交したい気持ちがないではなかつたが、最終的には被告らの言葉を信頼し、右両者間で、被告らの申し出どおり原告らが被告らの許に転居して洋品店を継ぎ被告らの面倒を見る旨の合意に達し、「原告らの主張」5の(三)記載のとおり転居時期及び原告らの居住場所について取り決めがなされた。

なお被告一郎は、本件について正式に人を仲に立てることも考えている旨述べ、和田末吉(被告一郎の弟)、和田弘平(原告花子の兄)、高橋陽一(原告太郎の兄)の名前をあげた。

3  原告らは昭和五五年三月二七日被告らの店舗の二、三階に転居し、四月一日から店で働くようになつた。一ケ月後には原告太郎は帳簿の記入・金庫の管理などを任されるようになつたが、店の経営に関することについては、昭和五五年九月四日の被告らの話の趣旨とは異なり、全く判断権を与えられず、希望したものの仕入れにも連れて行つてもらえなかつた。また、被告一郎の指示する内容が首尾一貫せず、変転することがあつたので、原告らはその対応にとまどうことが時々あつた。更に被告和子は終始原告らと打ち解けず、被告一郎も途中から打ち解けた態度がみられなくなつた。

原告らは、このような状況にとまどいと不安を覚えながらも、被告らに打ち解けようと種々努力したが、親子としての親密な関係を築くことができず、次第に不満を募らせることとなつた。

一方、被告和子は原告らとの縁組にあまり乗り気ではなく、被告一郎の意向に最終的には同意したものの、原告らが転居して来て以来自然に打ち解けることができなかつた。また被告両名は、三月二三日の引つ越しに際し原告らが手伝わなかつたことや、引つ越しに対する原告らの対応について、原告らが自分たちのことばかり考え、被告らのことをあまり考えてくれないと感じ、原告らに不満を持つこととなつた。

ところで、原告らが店を手伝い出すのとほぼ時を同じくして店の売り上げが減少し出し、原告らの言動の端々に異和感を持つことがあつたことも手伝い、被告らは売り上げ減少はあるいは原告らのせいではなかろうかとの疑いを抱き、原告太郎に来店した客の数と商品を購入した客の数とを調査させた。その結果客足自体が落ちていて、やむを得ない状況であることが判明したが、被告らのわだかまりは完全には一掃されなかつた。

六月下旬被告一郎は、原告太郎と話し合つて決めた月額三五万円の手当を、原告太郎に事前の相談なく三〇万円に減額し、これを原告花子に手渡し、減額した旨を原告太郎に話しておくように申し渡した。そこで原告太郎は原告花子と共に被告一郎に対し、三五万円の金額は被告一郎と太郎が話し合つて決めたものであるから、変更する場合には事前に話をしてほしかつた旨不満を述べた。すると被告一郎は興奮して、この店は自分の店なのだから給料をいくらにしようと自分の勝手だ、原告らの指示は受けないなどと言うので、かねてより不満を募らせていた原告も、いつ仕入れに連れて行つてもらえるのか、いつになつたら責任を持つて店を任せてもらえるのかなどと不満を述べた。その後しばらく遣り取りがなされ、結局手当については三〇万円にすることを原告らは受け入れた。しかし被告一郎は、同人の店に対し強い愛着を持つていたことも手伝い、原告の言から、原告らが店を自分から奪い取ろうとしているのではないかと感じ、原告らに対し不信の念を抱くようになつた。

そしてその後、以前にも増してわだかまりのある状態が続き、「原告らの主張」8記載のとおり、九月一〇日頃被告一郎は原告らに対し四月以来の生活関係の解消を通告するに至つた。

<証拠判断略>

二養子縁組予約の成立、その破綻の責任

1 前記認定の事実によれば、昭和五四年九月原告両名と被告両名との間で、養親子関係を結び、原告太郎が勤務先を退職したうえ原告らが被告らの名古屋の店に転居し、家業である衣料品店に勤務して将来これを承継し、老後の面倒を見る旨の合意がなされ、その後一定の儀式ないし形式を経て(前記一認定の「原告らの主張」6の(三)の事実)、昭和五五年三月末に右の合意のとおり原告らが被告らの店舗に転居し洋品店に勤務するに至つたことにより、合意された内容に従つた親子的生活関係の実を生じ、もつて養子縁組の予約ないし事実上の養親子関係が原告らと被告らの間に成立したものというべきである。

なお被告一郎は、本件本人尋問において、原告らを養子にすると明確に述べたことはなく、同被告の商売の跡を継いでやつてもらいたいと述べただけである旨供述するが、原告両名の供述や前記認定の事実経過に照らし事実に反することは明らかである。また同被告は、原告らとうまくいけば養子にすることも考えていた旨供述するが、他方では原告らが来名することを希望し、原告太郎もいい人で商売に向きうまくやつていけるだろうと思つていたと供述するのであつて、前記認定の事実経過、特に被告両名の言動をも考え合わせれば、被告一郎の右供述も当時の同被告の真意を表わしていないと認められる。もつとも、原告らとの養子縁組について同被告に不安がないわけではなく、そのことが入籍を躊躇させた理由の一つと推測されるが、これとて人為的な親子関係を結ぶにあたつての一般的抽象的な不安の範囲を超えるものではなく、縁組の合意を認定する妨げとはならないというべきである。

また被告和子も、本人尋問において自分は原告らを養子にする気はなかつた旨供述するが、前認定の事実経過、特に同被告自身の言動に照らせばこれをそのまま採用することは到底できない。結局被告和子は当初この話にはあまり賛成ではなく、話が進行した後も被告一郎ほど積極的ではなかつたといえるに留まり、同被告についても原告らとの間で縁組の合意がなされたものと十分に認定することができる。

2  ところが前認定のとおり、昭和五五年九月一〇日頃被告らが原告らに対し同年四月以来の生活関係の解消を事実上通告し、原告らの洋品店への就業を事実上妨害するなどして関係継続拒否の強い意思を示したことにより、両者間の事実上の養親子関係はこれを継続して行くことがかなり困難となり、その後においても被告らの右の意思が固いため、最終的に原告らにおいて右の関係を修復し継続して行くことを断念し、本件損害賠償請求訴訟を提起したことにより終了し、その意味で破綻したものといわざるを得ない。

このような状態に立ち至つたのは、直接的には、原告らが関係継続を強く希望し被告らとの話し合いを求めたにもかかわらず、被告らがこれを拒否しあくまで関係解消の意思を貫徹したことによるものであるから、被告らの右行動に正当な理由ないしやむを得ない理由があつたか否かが問題とされなければならない。

先に認定したところによれば、被告らが原告らとの関係解消の意向を固めるに至つたのは、当初から被告らの期待に反し原告らが被告らのことをあまり考えてくれないと感じて不満を持つていたところ、手当を減額した際原告らがかねてよりの不満を種々述べたことなどから、被告らがこれまで苦労して維持して来た洋品店の全面譲渡を原告らが要求し、被告らをないがしろにしようとしているものと考えるに至つたことが主たる要因と解される。しかし、本件の養子縁組が「親のため」との要素を強く有していたことは事実であるが、原告らの家族構成や置かれた状況を考えれば、原告らはその諸制約の中で終始被告らのために誠実に行動したものと認められる。被告らの不満は、原告らの置かれた状況に対する理解を欠くばかりか、「親」としての配慮を欠くものとの評価を受け得るものである。また原告らは手当を減額された際などに、店の経営についてもつと責任を持たせてほしい旨不満を述べたものと認められるが、原告らが被告らの家業を継ぐことは本件の養子縁組の重要な要素であること、そしてその点に関する昭和五四年九月四日の話し合いの内容などからすれば、原告らがそのように期待し希望するのももつともといわなければならない。そのような観点を離れても、原告両名の年齢や職歴・生活歴を考えれば、原告らがそのように希望するのはけだし当然のことであり、被告らが原告らを従業員とさほど違わない状態に置いたのは、「親」としての配慮が足りなかつたとの評価を免れない。更に、前認定の事実経過や原告両名の供述に照らせば、原告らが被告らの対応に不満を持ちそれを口に出したことはあつても、原告らに被告らから店を奪い取り被告らをないがしろにするような意図が全くなかつたことは明白というべきである。しかも、被告らから関係解消の意思表示がなされた後も、原告らは関係修復を真に希望し、そのために種々の働きかけをしたものと認められる。これに対し被告らは原告らとの直接の話し合いを拒否し、人を仲に入れての調整においても関係継続の方向でのそれを一貫して拒否したものであつて、かたくなで柔軟性を欠く態度であつたといえる。

もつとも、洋品店を原告らに継がせる方法について、被告らにもそれなりの考えがあつたものと思われるが、原告らに対しそれを理解させ納得させるような手立てを十分取つたものとは認められない。従つて、原告らが苛立ち不満を持つに至つたのもやむを得ないことといえる。本件のように社会的経験を十分に積んだ成人相互間で結ばれる養子縁組関係は、その契約的側面を指摘するまでもなく、互いの信頼と努力によつて維持されるべきものである。このような見地から見るとき、総じて被告らは相手方の奉仕と努力を求めるのに急で、自らの努力が十分でなかつたことは否めないところである。

このように見て来ると、被告らが本件の養子縁組予約ないし事実上の養子縁組解消の行動に出たことについては、正当な理由ないしやむを得ない事由は見出せず、従つてその破綻の責任は大部分が被告らに帰すべきものといわなければならない。よつて被告らは原告らに対し、右養子縁組予約ないし縁組関係を不当に破棄したものとして、右縁組予約不履行により原告らに生じた損害を連帯して賠償する義務があるというべきである。

なお、被告らは、原告らの損害について過失相殺を主張するが、以上の諸点に照らせば、過失相殺をすべき事由は見出し難い。被告らの右主張は理由がない。

三原告らの損害

1  原告太郎の損害

(一)  財産的損害についての賠償の範囲

原告らと被告らとの間に成立した養子縁組予約ないし事実上の養子縁組は、前記一の1に認定したとおり、原告太郎が勤務先の東野産業を退職したうえ原告らが名古屋の被告らの店へ転居し、被告らの家業である洋品店に勤務して将来これを承継するとの合意を重要不可欠の要素として包含するものであつたが、原告らが右合意に従つて行動(退職、名古屋の店へ転居、洋品店への勤務)したところ、養子縁組予約が破棄され、これが履行されなかつたのであるから、縁組不当破棄後に縁組成立前に比較して原告らに生じた不利益は、原告らが本件養子縁組予約が履行されることを信頼したために生じたものであつて、そのような状況から通常生ずべき損害は、被告らが賠償すべき本件縁組予約不履行と相当因果関係を有する損害ということができる。以下、この見地から個別に検討する。

(二)  賃金・退職金に関する損害八四四万七七二五円

前記一で認定した「原告らの主張」2の事実に、<証拠>を合わせると、原告太郎は昭和三八年三月立命館大学を卒業し、同年四月から○○チェーン株式会社に入社し、昭和四一年五月系列会社の○○産業(資本金五〇〇〇万円、従業員約二〇〇人、ニードルローラー、コンベアー製造)に移籍したこと(同じ会社の東京営業所に勤務)、同原告は両社において主としてコンベアーの設計・製作・施工を担当し、○○産業では外注管理・据付管理などの営業面の仕事も担当していたこと、同原告は昭和五五年一月二〇日本件養子縁組予約の合意に従つて○○産業を退職したが、昭和五四年一年間に同会社から給与として三五〇万七七七〇円の支給を受けていたこと、同原告は本件縁組が破棄された後、名古屋市において公共職業安定所や人材銀行で就職先をさがし、昭和五六年六月一日○○エンジニアリング(業務内容・ユーザーに対する技術者の派遣、資本金八〇〇万円、従業員約七〇名)に再就職し、一ケ月二一万五九四〇円の給料の支給を受けることとなつたこと、昭和五七年には給料についても昇給があり、ボーナスも支給され、同年一年間の同原告の給与総額は三二一万五五九五円であつたこと、ところがその後○○エンジニアリングの経営状態が悪化し、その経営者が従業員を事実上売買する形でテクニカル○○○○に移籍させたため、原告太郎もそれにより昭和五八年九月一日同会社に移籍したこと、右移籍に際して給与条件の変更はなかつたが、○○エンジニアリングからボーナスの支給がなかつたことなどから昭和五八年の原告太郎の年収はやや減少したこと、以上の事実を認めることができる。

ところで、我が国の大部分の企業の賃金体系が年功型賃金体系を基本とするものであることは周知の事実であり、<証拠>を総合すれば、○○産業、○○エンジニアリング及びテクニカル○○○○の各賃金形態も同様のものであると認められる。従つて原告太郎のように途中入社(同原告の場合は四一歳で再就職)をした場合には、再就職後の給与は、学業終了直後から同一の会社に勤続した場合の給与に比べてかなり低いのが通常である。原告太郎の給与にこのような差額が生じていれば、これは被告らの本件縁組破棄による損害というべきである。当裁判所に顕著な賃金センサス(昭和五四年ないし五七年)に照らせば、原告太郎は、退職することなく○○産業に勤務し続けていたとすれば、昭和五五年から五七年の間は昭和五四年の給与額に少なくとも毎年五パーセント増加した額の給与を得ることができたと推認するのが合理的である。ところが、昭和五六年六月から一二月までの同原告の○○エンジニアリングにおける給料は合計で一五一万一五八〇円(215,940×7)であり、昭和五七年の給与総額は三二一万五五九五円であつたから、次に示すとおり、昭和五六年(但し七月から一二月までの間の七ケ月間)においては少なくとも七三万九二三九円、昭和五七年おいては少なくとも八一万八三四〇円の差額がそれぞれ生じていることとなる。

3,507,770×1.15−3,215,595=818,340

昭和五六年の給与差額は再就職直後の太郎の給料を基礎とするものであるから、差額としては昭和五七年のものを採用するのが妥当であり、その差額が一四年間(○○産業の停年である五六歳に原告太郎が達するまでの期間)継続すると仮定して、ホフマン式により年五分の中間利息を次の方法により控除して訴状送達時の現価を算出すると八四四万七七二五円となる。

818,340×10.4094×0.9917=8,447,725

しかし、原告太郎は本件によりその労働能力に影響を受けたわけではないので、将来の収入の増加を期待できる側面もあるが、反面、○○産業に勤務し続けていたならば期待できたであろう退職金を完全に確保することは困難であること「<証拠>により認める。)、テクニカル○○○○は○○産業に比べ企業基盤が強いとは言えないこと(<証拠>により認める。)などの事情もあるので、結局これらの事情をも考慮して、前記八四四万七七二五円をもつて本件縁組予約不履行と相当因果関係を有する給与及び退職金に関する損害とするのが相当である。

(三)  再就職までの損害 一八四万一五七九円

前認定のとおり、原告太郎は昭和五五年一〇月一杯で前記洋品店に就業することを断念し、その後再就職のための求職活動を行い、昭和五六年六月一日に○○エンジニアリングに就職したものであるところ、このうち六ケ月は再就職に必要な期間と認められているから、原告太郎が引き続き○○産業に勤務していたならば右期間に得ることができたであろう給与額は、本件縁組破棄と相当因果関係を有する損害と認めるのが相当である。そして右給与額は、昭和五四年の年間給与額を五パーセント増した額を使用するのが相当であり、これによつて右損害額を算出すると、次のとおり一八四万一五七九円となる。

(四)  転居費用 三〇万三七〇〇円

<証拠>によると、請求原因4の(四)の前段の事実を認めることができる。右各転居に伴う費用のうち、別表(二)記載の第一回の転居費用合計二三万二六〇〇円は本件養子縁組関係創設に向かつて支出されたものであつて、被告らの縁組破棄と相当因果関係のある損害とは認められないが、同表記載のその余の第二、第三回の転居に伴う費用合計三〇万三七〇〇円は右縁組破棄と相当因果関係を有する損害と認められる(なお右各転居の相当性については後記(五)を参照)。

(五)  仮住居費用 八三万七五〇〇円

前記(四)に認定したとおり、原告らは昭和五六年六月名古屋市東区○○○町一丁目一四番地○○ビル五〇一号室に転居し、埼玉県所沢市の建物を売却した上、新家屋を建築し昭和五七年七月名古屋市西区○○○四丁目三四番地の現在所に転居したものであるところ、<証拠>によると、原告太郎が右○○ビル五〇一号室に居住するについて別表(三)記載の費用合計八三万七五〇〇円を支出したことが認められる。原告らには、その子供が名古屋市内の中学校・小学校に通学するなど同市内における生活関係が既に形成されていたと認められるから、原告らが被告らの店舗を出て名古屋市内に転居したのはやむを得ないことであり、かつ、原告らが名古屋市内に自宅を建築して転居するまで前記の期間仮の住居を賃借して居住することもやむを得ないことであつたと認められる。そしてそれに要した前記費用も相当な範囲内のものであるから、これは本件縁組予約不履行と相当因果関係を有する損害というべきである。

(六)  慰謝料 二五〇万円

原告太郎が被告らの本件養子縁組予約不履行により大きな精神的損害を被つたことは明らかである。本件弁論に顕われた諸般の事情を総合して、これに対する慰謝料は二五〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

2  原告花子の損害(慰謝料) 二五〇万円

原告花子についても、同原告が本件養子縁組予約不履行により大きな精神的損害を被つたことは明らかである。諸般の事情を総合して、これに対する慰謝料は二五〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

3  損害額の合計

原告太郎 一三九三万〇五〇四円

原告花子 二五〇万円

四結び

以上によれば、被告ら各自に対し、原告太郎は金一三九三万〇五〇四円、原告花子は金二五〇万円と、右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和五六年四月一日(記録により認める。)から支払ずみまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求することができるというべきである。

よつて、原告らの本訴請求を右の範囲で正当として認容し、原告太郎のその余の請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を適用として、主文のとおり判決する。

(岩田好二)

別紙(一)定年時の推定退職金<省略>

別紙(二)転居費用<省略>

別紙(三)仮住居費用<省略>

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